がんばってかくぞ日記

優しさは遅効性の毒、という言葉を思いついた自分を抱きしめてやりたい。まさにそう、二度目の恋をした人間と出会ってから一年が経ち、明後日で記録的な二日酔いと悪がらみをしたセカンドロイヤルレコーズの周年パーティから一年が経つ。年月はとても早いが、私のなかの時計は止まったままで、夏以来音信不通の彼女の姿をまだすぐ思い出すことが出来る。ずっとずっと自分で自分の機嫌を取って生きてきたせいで、人から優しくされることへの耐性がまったくついておらず、春の香りや湿度の高い気候を肌で感じるだけで体調が悪くなる。去年は一年通してそういった感情に支配されることが多かった。きっと今年一年はその後遺症に苦しんで過ごすことになりそうだと思った。私は基本的に終わったことしか振り返れない。過去はもう変化の仕様がないから、事実の軌跡としてとらえることが安易だからだ。フォルダから消せない写真やバックアップを取ったメッセージのやりとりなど、今現在私が自発的に起こしている感情に基づく行動は、目をつぶればなかったことにできる。気持ちのバグ、脳のバグとして終わらせれば恥ずかしくなくて済む、私自身が巻き起こしたリビドーと自覚せずに済む。逃避ほど楽なものはない。この前、とてもとても大切な友達が錯乱して涙を流しながら悲痛な独白をする現場に立ち会った。私はその時間がとても尊いものに思えた。お世辞にも友達が多いと言えない彼女が、素を完璧に晒すことが珍しい彼女が、私に見せた泣き顔、すこしうれしいと思ってしまった。とても弱くて、触れる前から壊れているような部分を、垣間見た、この気恥ずかしさのような、うれしさのような、悲しさのようなもの。彼女の独白を聞きながら私はただただ泣きながら抱きしめることしかできなかった。二度目の恋をした彼女も、バグと言い聞かせている彼も、私のために泣いてくれたことはなかった。私のために泣いてくれた彼女は、私のことは好きにならない。私も彼女は好きにならない。それでいいのだ。私の好きな人たちにやさしい世界になりますように。