がんばってかくぞ日記

一.

劣等感が強い理由のひとつ、「継続することを尊いことと思い込んでいる」

幼稚園の体操教室は年長でやめ、小学一年生で始めたエレクトーン教室は半年でやめ、進研ゼミも二年もたたずやめ、高校で入った部活は一年でやめ、中学から行っていた塾は大学受験が盛んになる高校三年生のあたまにやめ、そして高校をやめ…

唯一続いていた(る)のは中学三年間やっていた吹奏楽部と今三年目になる飲食店のバイトのみ、完全に、甘え、私が100000悪い話だが、どうしても続けられない、故に、継続により才能や技量を努力で手にしたひとに向く感情が、どんどんひねくれたものになる

私には何もない、なにも誇れるものがない、機会は十分にあったのに私の怠惰ゆえにそれらすべてをずっと手放してきた、そんな人間に価値はないんじゃないかと、常に視界にちらつく声ではあるが、吹き出しがより大きく見える

今日、中学からの友達が、わたしのやめた吹奏楽部の定期演奏会でソロパートを吹いている動画を見てしまった

私が部活をやめ、高校をやめ、惰眠を貪るなか、日々音楽に向き合い、その成果を堂々と披露する彼女は間違いなくわたしより偉大で価値のある人間に見えた

そして、なんでこんな素晴らしい人間が、こんなにもつまらなく、恥ずかしく、なにもできない人間と一緒にいてくれるんだろうと思った

中学からの友達にそんな気持ちを託したくなかった

 

二.

社会性が発達しすぎてお酒を飲んでも全く酔えなくなった

もともと神経に効きづらかったアルコールがもう、何も、まったく、効かない

酒が、ただ飲むと目が開きにくくなり、胃腸が荒れる液体になった

しかも、最近は社会性が発達しすぎているあまり、「お酒を飲んでいる以上、酔っていないと思われると場と人に申し訳ないので、無理やり酔っているふりをしよう」と考え、周囲に配慮した大声で必死に考えたジョークを飛ばす始末である、中学のときにやっていたことと全く変わらない

中学時代、私の身体とこころをはったギャグを見て笑っていた彼・彼女らと、クラブで出会う友達が時々重なって見える

友達には私なりのリスペクトをもって接していたつもりが、帰属するコミュニティを意識するようになった途端に、ちゃちな脳で作り出したカーストを意識して行動するようになってしまった

そして困ったことに、長年のオタク・ライフにより、対人への適度な倫理と道徳が備わっているため、あいつらの目には私の自尊心の削り節が輝いて見えない

19年間続けてきたコミュニケーションが通じないのに、19年間培ってきた偏った考えは治らない、20歳まであと半年とちょっと、このままでいいのか